ここに書かなかったのは見てるって言われたから。詳しくは言わないけど。
なにも俺の事をそんな風に言わなくてもいいじゃないか。
まともになれると信じられるかっていうのか、まったく。
人はみんなある程度は自分自信に関心をむけて欲しいんだろうか。
ぬるま湯っていうかさ、同じいけすのなかにずっといると魚の眼だって腐ってくるだろう。
人間だって腐った根性にはなるよ。
俺は同じ趣味の仲間には滅法饒舌になる、それに嬉しいんだよ。
それに気付いたのは谷中安規展の夢を渋谷の松濤美術館に行ったから。
この人知識が凄いからって30代のデザイナーの女の人と喫茶店に誘って貰って
それで谷崎潤一郎全集が並ぶ店内でお茶のんで、フランスのチョコの話とかしてくれて
現代の作家にも目を向けなさいっていわれて、その後文化村通りにあったブックファースト渋谷店
で百間先生の居候匆々の文庫版買って、住所とか教えてもらったんだけどいやあ楽しかった。
初めて、自分の追求した世界を話題にしてついてきてくれた人がいたんだ。
その快感は竹中英太郎美術書に通ってた縁で山梨黄金温泉で泊まりこみライブに行ったこと
だ。ここでもファンしかいないから話が通じるのなんのって、凄かった。
直後のゴールデン街クリシュナの知久さん鈴木さんオールナイトライブで10分もお話したこと。
柳原さんのことをきくと「俺はそばにいたから分かるけどコーラスして凄い気持ちよかった
あいつは天才だった」といってくれたこと。「好きなことは一生懸命やって嫌になったら辞めりゃ
良いじゃん!」と真剣な眼差しでいっていたこと。
柳原さんのライブでピアノの上手さと歌声に仰天したこと。速弾きとテンションの高さに身体が踊った!
たまの曲は歌わなくてもこんなに身体がノル。そしてたまの本にサインしてこれオレね!と矢印書いてくれた
こと、途中で感動のあまり腰を抜かしそうになった。
8歳から小学校卒業までオゾンやさよなら人類、れいこおばさん、ロシヤのパンも口ずさんでいたが
会えたんだ。
それにしても建前では立派なふりしてる俺だけどとうとう4年やってた後輩が辞めたんだけどそっけない
な、冗談でまた明日っていっても俺の顔見ただけだ、そんなもんだな。
9年前渋谷で思った。俺は文化系の女性と結婚するんじゃないかと思った。その頃の女友達とは別れたけど
なんか一方的だったし それ以上に周囲の反応が異常だったので嫌気がさした。
もっと成長しなければならないだろう。 うわべで繕われるのは好きじゃない。
本気で歌う4人のたま、これが幼児の俺、今になったら少しは意味がわかるようになった。
情熱はあの頃のままだ、だから最近顔に笑顔が戻ったのです。
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